2016年5月24日火曜日

beatmaniaの誕生

1997年12月、アーケードに初の音楽ゲームが登場しました。


beatmania ビートマニア


…しかし、当時格闘ゲーム大好き人間だった自分は全く知りませんでした。
ひょっとしたらゲーメスト(当時発売されていたアーケードゲーム雑誌)の記事を
読んだことがあるかも知れませんが、おそらくそれも2ndMIXか3rdMIXの記事だと思います。

ただ、幸運にも2014~2015年頃に名古屋や東京で
初代beatmaniaをプレイする機会に恵まれたので、一度まとめてみようと思います。


現行シリーズの「beatmania IIDX」シリーズは
7つのキー(ボタン)とターンテーブルでプレイしますが、
私の愛する初期「beatmania」シリーズは5つのキー(ボタン)とターンテーブルの
操作形態になっています。これがいわゆる5鍵盤シリーズ、通称「5鍵」と呼ばれるものです。


初代(以下1st)は5鍵盤で唯一ストーリー仕立てとなっていて、
プレイヤーは新人のDJ、CLUB SAGAWAのオーナー(オカマ)に場を盛り上げるように
言われるところからスタート。
最初にプラクティスステージ「play」「skip」の選択肢が現れ、
チュートリアルをするかしないか選べます(どちらを選んでもその後のプレイに影響なし)。
ちなみにプラクティスステージは1st専用楽曲で、2nd以降のバージョンとは異なります。
特に操作説明してくれるDJ KONAMIのボイスは1stと2nd以降では別人だと思われます。

1~2曲目は
[hiphop] u gotta groove
[reggae] jam jam reggae
[techno] OVERDOSER
の3曲から2曲選択。保証などはなく、失敗したらゲームオーバーですが、
コンティニュー画面でクレジットを投入することで続きから再開することができます。


どの楽曲もプレイ開始前にオーナーが楽曲解説のようなものをしてくれたり、
現在では見られない仕様になっています。


3曲目はDJ BATTLE。
Ninety thousand(ナインティー・サウザンド)というキャラが現れ、
スクラッチ対決をすることになります。
Ninetyのスクラッチリズムに続いて、同じリズムのノートが降ってくる形です。
1stではダブルスクラッチという、ターンテーブルを往復させるとまれに
二重に入力される現象が起こり、空WORST(現在のPOOR判定)が出て
グルーヴゲージが下がってしまいます。
未だにこれを防ぐ方法が分かっていないのですが、極論を言ってしまうと、
全て一方向でスクラッチさせればダブルスクラッチを防げるようです
(16分リズムのノートが来た場合は非常に無理がありますが…)。
ちなみに、DJバトル中1から5番のキーを押すとそれぞれスクラッチ音を変えられます。


4~5曲目は
[break-bts] 2 gorgeous 4U
[soul] LOVE SO GROOVY
[house] 20, november
の3曲から2曲選択。
ブレイクビーツは1Pプレイと2Pプレイで楽曲が異なり、
2Pプレイでは「greed eater」になります。
これらの3曲に加えて、DJ BATTLEでグルーヴゲージ100%でクリアすると隠し曲
[rave] e-motion
が出現します。
(1stのみ「20, novemver」「e-emotion」と表示されますがどちらも誤字です)


全てクリアするとオーナーの「今後もここで続けてみる気はない?…そう、残念ね」
など、名残惜しそうなコメントとウィンクを残してエンディング。
エンディング曲でキーやスクラッチを入力すると効果音が流れるので、
それで遊ぶのも5鍵盤シリーズの伝統。


その他、隠しモード?として、タイトル画面で5つのキーを全て押しながら
スタートさせると、全7曲を連続でプレイできるEXPERT MODEが遊べます。


1stの楽曲を手掛けたのは dj nagureo(南雲玲生)、HIRO(竹安 弘)、Tomomi Ohtaの3名。
当時GMD事業部に在籍していたサウンドチームのようです。
GMD事業部はコナミのメダルゲームを中心に開発していた部署で、
当時の開発者インタビューによると、
「みらくるすぴん」というプライズ機のテストモード(ウィンドウを開けた状態)で
ボタンを押すとSEが鳴るものが「beatmania」の源流とのことです。


ロケテストではハウス「20, november」が存在せず、
ロケテの反応を見て最難関曲として投入されたのは有名な話。
「I'll be there!」というタイトルだったようですが、現在のタイトルに変えていなければ、
毎年ネットを中心に盛り上がる「ノベンバ祭り」は存在していなかったでしょうね。


1stはたった3ヶ月の稼働で2ndMIXに移行したことと、特殊な筐体ゆえに導入するゲームセンターが少なかったこともあって、出回りはあまりよくなかったようです。実際、当時愛知県の片田舎のゲーセンで1stを見かけることはありませんでしたし。
しかしながら熱心なプレイヤーも存在していたそうで、プレイヤーはクリアに飽き足らず、モニター全体を新聞紙で覆って暗譜プレイをしたり、2つのコントロールパネルを同時にプレイするなどの大道芸プレイに走る人もいたそうです。これを受けて、2ndMIXのHIDDEN(ヒドゥン)プレイ、ダブルプレイに発展していきます。

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